人工呼吸器つけますか?〜人はいつ死ぬのか

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    JUGEMテーマ:日記・一般
    「人工呼吸器つけますか」と、初めて聞かれたのは4年半前のことだ。
    ある日、突然、父が倒れた。
    ヘビースモーカーだったので、「肺がんになるから辞めたら?」とは言っていたけど、
    今まで大病もせず生きてきたので、
    最初は何が起こったのか分からなかった。
    東京で打ち合わせをしている最中、「ちょっと一息入れましょうか」というタイミングで、
    携帯に母から電話があり、父が倒れたという。
    「どうしたの?心臓?」と聞いても、
    「訳がわからない、とにかくおかしくなっちゃったのよー!」と母が悲鳴のように叫ぶ後ろで、
    救急隊員の人の声が聞こえた。
    取るものも取り敢えず、急いで病院に向かうと、
    すでに搬送から2時間くらい経っていたのに、
    まだ救急外来にいた。

    私の到着を待って医師が説明をしてくれた。
    脳梗塞らしい、その場合、梗塞が呼吸や心臓をつかさどる部分に及ぶと死んでしまう、
    そうでなくても、脳が熱を持って膨張すると、頭蓋骨が割れて死んでしまう、と、
    いくつかの「死に方」のパターンを説明された上、聞かれた。
    「人工呼吸器つけますか」

    その時に、一度つけて、意識が戻らない場合、植物人間状態になっても、
    取り外すことはできない、殺人になってしまう、と言われた。

    でも、母に聞いたら、その日は電車とバスを乗り継いでかかりつけの眼科に2人で行って、
    帰りに駅ビルでおそばを食べて帰ってきたのだという。
    いきなり、「死に方」の説明をされても、頭の中を素通りしてしまう感じで、
    本当に「何言ってるの、この人」という感じだった。
    処置が終わって、病室に運ばれ、入院に必要なものを取りに自宅に戻った数分の間に、
    ググりまくって、説明をプリントアウトして、母や妹にも読ませた。
    そこで、やっと事態が把握できた。

    その時から、すでに4回、父は軽い脳梗塞で入院している。
    そのたびに、救急外来では、「人工呼吸器つけますか」と聞かれる。
    脳梗塞はいったん起こると、どこまでダメージが広がっていくか、止められない。
    ただ、本人を動かさないようにして、広がらないようにするしかない。
    (今では血栓溶解という方法もあるが、年齢制限があり、高齢者は適用されない)
    だから、いつ呼吸が止まるか分からないので、救急外来では、
    予め家族の意思を確認するのだろうと理解した。

    2回目の発作のときは、てんかん発作を併発し、
    ICUで、息が絶え絶えになっている父を見て、
    医師が、すぐに呼吸器をつけるかどうか決めてくれと言った。
    私と妹は、1回目に倒れたとき、最後は母の意思を尊重しようと話し合っていたのだが、
    母は、どうしても家族3人で決めると言ってきかない。
    父はことばが出にくくなっていたので、医師は、言語能力や呼吸をつかさどる、
    脳幹部に梗塞が及んでいることを懸念して、
    一刻も早く結論を出して欲しいと言ったが、
    母が、頑として譲らなかった。
    運悪く、姪がインフルエンザになっていて、妹がすぐに駆けつけてこられず、
    次の日まで結論を持ち越したが、
    結局、3人で話し合って、人工的な延命措置はしないことに決めた。

    医師との話では、ひとつひとつの措置について聞かれた。
    心臓マッサージはどうしますか、胃ろうはどうしますか、
    人工呼吸器はどうしますか。
    人工呼吸器をつけたまま、意識が戻らなければ、長期療養用の病院に転院しなければならない。
    中には、雑な扱いを受けたりするところもある聞いていたし、
    なにより、母には母の人生があって、それが一生介護に費やさなければならないとしたら、
    あまりにも切ないと思ったからだ。
    心臓マッサージも、蘇生しても5分程度しか持たないとのことで、
    それなら、うちから急いでタクシーを飛ばしてきても間に合わない。
    そのために、肋骨がボロボロになるようなことはしたくない。

    そういった家族の意思は、そのたびに主治医が変わっても、
    電子カルテ上に記載されて、申し送りされてきた。

    今年2月に、今度はインフルエンザから肺炎を起こして、
    またも、救急車でいつもの病院の救急外来に駆け込んだ。
    そのときも、また「人工呼吸器つけますか」と聞かれた。
    母は、反射的に、「いえ、それはつけないということで」と答えたが、
    よくよく聞いてみると、肺炎の治療を行うために、
    いったん肺を休ませて、抗生物質で治療してから、
    元に戻して行くと言う。
    その時点で、酸素吸入しても酸素量が足りず、
    もう、こうやって話している間にも低酸素症にならないかと、
    心配で、母にかいつまんで説明を繰り返して、
    やっと、治療を受けることになった。
    人工呼吸器を付けるには、喉に管を通すため、
    意識を落とさないと、本人がつらいからということで、
    眠らせることになった。
    処置室で、麻酔をかける前に見た父は、おびえた表情をしていた。
    このまま、意識が戻らなかったら、
    父が最後に持った感情が恐怖だったら、
    あまりにも悲しすぎる。

    妹に、電話して状況を説明すると、
    小さな子どものようにしくしく泣きだした。
    それは、小さい時にいつも手をつないで遊びに行っていた妹を思い起させて、
    こちらも、何の根拠もないのに「大丈夫だから、大丈夫だから」と繰り返すしかなかった。

    「人工呼吸器つけますか」
    何度も聞かれていたけど、実際に必要に迫られて決断したのは、
    初めてだった。

    肺炎の炎症が治まった頃、
    また、主治医に呼び出されて、
    状況の説明を受けて、こう聞かれた。
    「人工呼吸器つけますか」

    今回はなんとか乗り切れそうだけど、
    父の年齢を考えると、再度肺炎を起こすことは十分に考えられる。
    次回は、今回よりも体力が落ちているので、
    人工呼吸器を付けたら、はずせなくなる可能性が高い、
    なので、どうしましょう?、と。

    今、病院では、状況を説明し、選択肢を示したうえで、
    患者か、家族に方法を選ばせることが多い。
    本人がいきなり意識不明になれば、家族が選択するしかない。
    普段から、どうして欲しいと本人から聞いていればともかく、
    そうでなければ、家族とは言え、自分以外の人の命に関わる決断を、
    家族がしなければならない。
    家族だからこそ、ものすごいプレッシャーがかかる重い決断になる。

    私は、主治医に問い直してみた。
    「以前は、なるべく人工的に延命するより、自然に任せて、
    穏やかに最期の日々を過ごさせたいと思っていたけど、
    でも、現実的に、呼吸が止まっても、心臓が動いていて、
    呼吸さえ補ってあげれば、生きられるという時に、
    それをしないのは、そっちの方が殺人になるような気がする。
    心臓が動いているのは、命があるということなんじゃないでしょうか」と。
    そうしたら、主治医は、それは、いろいろな延命手段が出てきてからの、
    近代的な考え方ですね、と言った。
    昔は、呼吸が止まり、脳に酸素が行かなくなって、心臓が止まるという順序で、
    体の臓器が順々に機能を停止していくのが当たり前だったそうだ。
    そして、脳に酸素が行かなくなると、本人は苦しいという感覚がなくなるので、
    心臓が止まるまで、苦しむことはないそうだ。

    人間は、いつ「死んだ」ことになるのだろう?
    呼吸が止まった時、脳が損傷して意識が戻らないと分かった時、
    心臓が止まった時。
    どの段階で、本当に「死んだ」ということになるのだろう?

    またも、家族3人で話あった。
    正直、私は実際に暖かい体の父を前にすると、
    あきらめ切れない気持ちもあった。
    妹は、またも子どものように泣きながら、
    「ずっと、管につながれて、物みたいになって生きてるのなんて、
    パパがかわいそう」と言った。
    それに、「ママとお姉ちゃんの負担を考えると、自分からはずっと生きてて欲しいとは言えない」
    とも言っていた。
    そんな遠慮はいいから、本当にどうしたいのか言わないと・・・、
    だって、これで、パパの命が決まっちゃうんだよ、というと、
    「だって、かわいそう。かわいそう」と繰り返した。
    母は、腹をくくっていたのか、もう、これ以上、意識が戻らないまま、
    延命する必要はないと言った。
    本当は、退院して、うちに連れて帰ってきて、
    最期まで家族で穏やかに過ごしたかったと言った。
    そして、自分のときは、延命措置は一切必要ないと言った。
    けれども、今の医療でむずかしいのは、
    素人には、延命なのか、救命なのかが判断が付かないことが多いのだ。

    私は、シェイクスピアのハムレットの中のセリフを思い出していた。
    ハムレットの母、ガートルードがハムレットに向かって、
    「ことばが息から出るものなら、息が命から出るものなら、お前を裏切る命はない」というのだ。
    そうだ、聖書にも、神が人間を作ったとき、
    息吹を吹き込んだと書いてある。
    息をしていてこそ、人間は生きているのだ。

    それは、当り前のようでいて、今の医療現場では、むずかしい選択を迫られる事実だった。

    そうして、私と母が主治医にあって、結論を伝えた。
    実は、その約束の日が、3月11日だったのだ。
    それで、あの日は病院に行けず、月曜日に改めて主治医に会った。

    先日、15歳以下の脳死の少年の臓器移植があったが、
    ご両親の判断は、本当に尊いとつくづく思った。
    突然の事故ということでも、気が動転しているところに、
    そういった判断は、1週間じっくり考えて・・・というようなものでなく、
    すぐに判断することが求められるのだ。
    脳死についての一般論ではなく、
    医者はそういうけど、もしかしたら奇跡が起こって、もう一度目をあけるかもしれないという、
    諦めきれない家族の気持ちが分かるだけに、
    決断を下した苦しみは、察して余りあるものがある。

    人の命の決断を任されるのは、人間の役割の範囲を超えているような気がする。
    それは、最終的には、神が決めることだ。
    あるいは、自然と言い換えてもいい。
    それは、今の医療の倫理にとっても、大きな問題であることに違いない。


     

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      • 2014.11.20 Thursday
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